往生

往生という言葉、元々は仏教用語です。極楽浄土に往き仏となり生まれる、という意味です。
しかし私たちは他の意味で使っていますよね。

「渋滞にはまって往生した」と言いますし、歌舞伎で有名な「弁慶の立ち往生」、または「往生際が悪い」など、「困る」「死ぬ」「あきらめる」という意味で使うことのほうが多いのではないでしょうか。

仏教由来の言葉は沢山ありますが、その多くが本来の意味ではなく、派生した言葉として使われています。

挨拶
「挨」は押す、「拶」は迫るという意味で、禅宗で相手の悟りの程度を測りあう問答。

我慢
煩悩のひとつで、「我」に執着し思い上がること。他人を軽視する心。

退屈
修行に耐えかね、挫折すること。

などなど、元々の意味として使われてはいない仏教由来の言葉は多いのですが、お寺様の法話でよく、この「往生」の意味についてのお話をされます。
その奥深さからか、違う使い方をすると窘められることもあります。

お釈迦様は、「極楽浄土へは往きやすいのに、往っている人が少ない」と説かれているそうです。仏教の真髄が「往生」という言葉には込められているようです。